豊善院 ブログ

お盆を迎えるにあたって

去る7月29日(日)午後2時より、お盆の行事で最も大切なご先祖様の御供養である大施餓鬼会を厳修いたしました。

当日は大変お暑い中、多くの方に足を運んでいただき塔婆供養をさせていただきました。

 

お施餓鬼の由来は、『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐばつえんくがきだらにきょう)』に説かれる物語です。

お釈迦さまの「十大弟子」の一人で、一番多くの教えを聞いたと言われる「多門第一」と称される阿難(あなん)尊者が、焔口(えんく)という餓鬼と出会ったときのことです。

その餓鬼によると、阿難は三日後に寿命が尽き、死後は餓鬼道に堕ち、自分と同じような醜く恐ろしい姿の餓鬼になるだろうと告げられました。

阿難がどうしたらその苦から逃れることができるかとお釈迦さまに問うと、施餓鬼の陀羅尼(だらに)を示し、この陀羅尼を唱えながら食物を布施すれば、無数の餓鬼、そしてバラモン(司祭)に心のこもった施しをすることになると説きました。

そして阿難はこの教えのとおり餓鬼に布施をして、無事に死をのがれ、餓鬼は苦しみから救われたのでした。

ここに出てくる餓鬼とは、地獄・餓鬼・畜生という「三悪趣(さんあくしゅ)」の一つで、飢えと渇きに苦しむものをいい、限りない物欲を象徴しています。

そして阿難尊者が出会った餓鬼とは、自分の心の中にある物欲にほかなりません。お釈迦さまは、物欲に支配された醜い心を清らかにするため、布施の修行を示したのです。

 

次に、お盆についてです。お盆とは正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」のことで、略してお盆といいます。

盂蘭盆とは、サンスクリット語の“ウラバンナ”を音訳したもので、「地獄や餓鬼道に落ちて、逆さづりにされ苦しんでいる」という意味を持ちます。そのための供養を行うことが盂蘭盆会なのです。

盂蘭盆会の始まりといわれる故事には次のような物語があります。

お釈迦さまの「十大弟子」の一人で、神通力をもったとされる「神通第一」と称される目連(もくれん)尊者が神通力で亡き母の姿を見たところ、母親は餓鬼道に落ちて苦しんでいたといいます。

目連尊者は更に神通力をもって、母に食べ物をささげましたが、口もとに運んだ途端に火となって燃え上がり食べることができません。

目蓮尊者は嘆き悲しみ、お釈迦さまに母を救う教えを願ったところ、「お前の母はお前にとっては優しく良い母親であった。しかし、我が子可愛さの余り知らず知らずの間に重ねた貪欲の報いで餓鬼の世界に落ち苦しみ続けている。しかし七月十五日には厳しい九十日間の修業を終えて清浄になった僧達が帰ってくる。その僧侶たちに百味の飲食(おんじき)を供えて供養しなさい。修行僧たちは、ご先祖様や餓鬼道で苦しんでいる者のために喜んで回向(供養)してくれるであろう。そうすれば、その功徳によって、お前の母や、餓鬼道で苦しむ者も含めて救うことが出来るだろう」と説かれました。

その教えの通りにすると、目連の母親は餓鬼道の苦をのがれ、無事成仏することができたと言われています。

 

私たちは、知らず知らずのうちに殺生をして毎日を過ごしています。例えば食事を頂く時、お肉や魚などの命を頂いて、つつがなく生きて行く事が出来るのです。

つまり、施餓鬼供養などのお盆の供養とは、これらのことに感謝し、餓鬼に施す善根功徳によって三界萬霊(この世のあらゆる精霊)や無縁仏への回向とし、また、その思いを当家ご先祖様や亡くなった故人への供養に振り向ける大切な法要であるといえます。